2024年の今日、日曜日
実家の畑にじゃがいもを植える約束をしていた。
天気もいい
10時実家に行くと、いつも通り母は布団で横になっていた。
母は脊椎管狭窄症で常に足が痺れている。
じゃがいも植えはもうやめる、と言う。
そんな母を畑に誘い出す。
じゃがいもを植え、ほうれん草とネギを引く。
1時間ほどかかった。
母、時々すわりながらも私に植え方を指導、お日様も浴びた。
よかった。まだ、動けるよ。
話は替わるが、
2月22日夜にこのブログのGoogleアドセンス審査をリクエストした。
昨日3月15日15時に返信が届いた。
「審査の結果、残念ながら、お客様のサイトは広告を掲載する準備がまだ整っていないようです。サイトに広告を掲載できるようにするには、いくつかの問題を解決していただく必要がございます。」
結果は不合格。
自分の実力のなさを感じて、グスン。
また、チャレンジするぞ。
22時にGoogleからもう一つメールが来た。
「2月 29, 2024より Search Console でお客様のウェブサイトの Google 検索におけるインプレッション数が収集され始めましたことを、Google システムが確認しましたのでお知らせいたします。同時に、お客様のウェブサイトのページが、一部のクエリに対する Google 検索結果に表示されるようになりました。」
よくわからないけど、何かうれしい。
さて50代の今日、なにしてたかな
手帳を開く
2014年の今日、月曜日 51歳
3月1日土曜日出勤の振替休日
実家へ行き、父に1万円もらう。
父、自らに対して「働かずこのままでいいのか」と言う。
この時、父82歳。
父の闘病日記(覚え)に
平成26年9月3日より デイ・サービス 週1回 とある。
平成26年は、この年2014年だ。
この頃、腰痛で歩行困難になっていたと思う。
もう、働かなくていいよ。
でもその気持ち、わかる。
ブリヂストン自転車アルベルトの前輪ブレーキ強度を調整完了する。
48歳から8年間自転車通勤していました。
往復18キロ。
この頃自転車4台買いました。
アルベルトのブレーキの利き具合が気に食わなかったのでしょう。
今年の目標「一人で生き抜く技術を身に着ける」
・整理整頓
・資源の再利用
・清掃
・料理
・人に頼らない
P164「俺は一人で判断をして自由に行動できるという強みを得たのだ」
題名はメモしていませんが、当時読んでいて感銘をうけた文章をメモしています。
P220 命を懸けて未知の世界、未経験の仕事に挑み完遂することで、
私は「証人なき三十年戦争」の真実を人々に立証しようと意思づくになっていた。
小野田寛郎さんの「たった一人の30年戦争」ではなかったか。
2015年の今日、火曜日 52歳
パートのW部さんが、正社員T中さんを叱る。
この日は午後出勤の荷物仕分け業務。
なんでT中さん叱られたのか、覚えていない。
他に 幸せのタクシー 川口さん 81歳 とのメモがある。
テレビ番組を見て、この川口さんの生き方に感銘をうけたのだろう。
検索してみたら、わかりました。
川口政則さんというお方でした。
思い出しました。
お客さんに「何の音楽が好きですか?」と質問し、その好きな音楽をすぐにかけてくれる。
世界の国の名前や世界の「ありがとう」も言える。
お客様を楽しませるのが幸せ。
タクシー運転手になって50数年、ずっとそんなことを考えながらやってきた。
仕事に対するプロ意識に感銘し、メモしたんだな。
そういえばパートのW部さんも自分の仕事にプロ意識のある方だったな。
元気にしてみえるかな。
2016年の今日、木曜日 53歳
N部長「ふざけるな!昨日俺の言ったこと理解しとるのか?」
この言葉、自分に言われたのか、同僚が言われたのか覚えていない。
昨日俺の言ったこととは
トラックから集配されてきた荷物を仕分けするときミスがあり、
その対応についてN部長が改善策を提示したが、
この日、改善策どおりに行動しなかったから。
上に立つものが怒鳴ると、下の者は萎縮するだけ。
当事者になって気持ちがわかる とのメモ。
やっぱり自分が怒鳴られたのかな?
2018年の今日、土曜日 55歳
父の面会へ行く。
母と話す。車いすカーは買わない。
愛車のタイヤ交換と洗車。
2017年(平成29年)4月1日より、父は老人保健施設へ入所しています。
母を連れて面会に行ったんですね。
父は車イス生活であった為、自分の車を福祉車両に替えようかと考えたこともありました。
でも、替えなかったんですね。
使用頻度や購入費用を考えて。
必要な時は市から借りようと。
2019年の今日、日曜日 56歳
申し込んでいた○○シティマラソンの参加を中止
父のオムツを購入し、母と病院へ。
2019年(平成31年)2月19日 22時半 父、救急車にて入院。
当時入所していた特別養護老人ホームにてインフルエンザを罹患、入院したものです。
この時、母はまだ歩けていました。