今日は父の命日
一昨日母とお墓参りを済ませています。
脊椎管狭窄症にて歩行が困難の母でしたが、
自らスーパーで仏花を選び、お墓まで歩きました。
母は最期の力を振り絞って歩いたのだと感じました。
父が亡くなった時間、母と過ごしました。
2016年の今日、水曜日 53歳
年休を取得。
かかりつけクリニックにて血圧の薬をもらい、スポーツクラブへ。
8キロ+8キロ+2キロ=18キロ走る。
二日前の3月14日(月)、知的障害を持つ次男が作業所に入所。
社会人として出発だ!
がんばれ
2019年の今日、土曜日 56歳
10:00~11:00 自治会副会長職引継ぎ
副会長になりました。前任者からの引継ぎを受けます。
14:33 父(87歳)無くなる。
14:44 医師による死亡確認。誤嚥性肺炎
実は私、少しだけ後悔していることがあります。
父が亡くなるその時、近くにいたのですが、
病室にはいませんでした。
あと少しだったのに。
自治会副会長職引継ぎを終え、父が入院する病院へ向かいました。
2日前から容態が悪くなっています。
鼻に酸素チューブを付け、意識は朦朧として苦しそうに呼吸しています。
明日3月17日(日)、〇シティマラソンへの参加申込をしていましたが、
キャンセルして父の傍にいようと考えました。
そうなるとレース記録の為、靴につける計測タグをマラソン事務局に返却しなければなりません。
中央郵便局へ行こうと思いました。母にその旨を告げ、病院を出ました。
病院から中央郵便局までは距離があるので、行きはバスに乗りました。
中央郵便局で計測タグの返却郵送手続きを済ませました。
よい天気なので、歩いて病院へ戻ろうと考えました。
病院が目の前に現れた、14:30 携帯電話が鳴りました。
母からの連絡でした。
父が亡くなりそうだと。
全速力で走り病院へ戻ります。
エレベータで8階の病室まで戻った時、ベッドサイドモニタの心電図は0表示になっていました。
帰りもバスで帰っていたらな。
父の最後を看取れたのにな。
父87歳でした。
父、生まれて31,838日を生ききりました。
お疲れ様でした。
父 闘病日記(覚え)
平成26(2014)年 9月 3日 デイ・サービス 週1回
父82歳、母79歳、自分51歳
平成27(2015)年 1月 7日 デイ・サービス 週2回
父83歳、母80歳、自分52歳
平成28(2016)年 5月 2日 デイ・サービス 週3回
父84歳、母81歳、自分53歳
平成28(2016)年 12月 9日 デイ・サービス 最後
平成28(2016)年 12月10日 18時半頃 転倒
平成28(2016)年 12月12日 〇〇整形外科入院 右肩脱臼
平成29(2017)年 4月 1日 老人保健施設「〇〇苑」入所
父85歳、母82歳、自分54歳
平成30(2018)年 11月24日 老人保健施設「〇〇苑」退所
特別養護老人ホーム「〇〇ビレッジ〇〇」入所
父86歳、母83歳、自分55歳
平成31(2019)年 2月19日 〇〇市民病院 22時半 救急
父87歳、母84歳、自分56歳
平成31(2019)年 3月11日 〇〇市民病院 13時半 退院
「〇〇ビレッジ〇〇」に戻る 14時
平成31(2019)年 3月12日 〇〇市民病院 再入院
平成31(2019)年 3月16日 14時44分 死去(享年87)